住民の存在は、観光の分野において常に微妙な立場に置かれてきた。ニューツーリズムという言葉が登場する以前、観光は観光地で展開される経済活動を指していた。観光地の境界を越えれば、150円の缶コーヒーが250円になる、いわば“観光地価格”の世界が広がっていた。それが当然とされ、観光客も「観光地だからね」と納得する時代であった。そのため、観光地において住民と観光客の間には明確な境界が存在していた。
しかし、ある時期を境に、観光客は住民の世界に足を踏み入れるようになった。高値で設定された“観光地のサービス”ではなく、その土地の住民の生活そのものを求める観光が広がり始めた。これがニューツーリズムの時代である。2015年、私が和歌山大学観光学部に所属した頃、観光が新しい時代に突入していることはすでに理解していた。しかし、多くの観光事業者が制作する観光映像は、いまだに観光客と住民の間に境界があることが前提で作られていた。
そんな中、私はネットで偶然見つけた一本の映像に衝撃を受けた。
それは、かつて私が住んでいた福井県嶺南地域に位置する小浜市の中山間地区で行われていた事業を紹介する映像だった。地域のおばあちゃんたちが育てた野菜を地域の人々が集め、それを地域の子どもたちの給食に供する取り組みを描いていた。
「作る人と食べる人がつながっている。」
この映像を制作したのが越前屋俵太さんだった。
観光映像の在り方を模索していた私にとって、この映像は人跡未踏の世界、つまり普通なら踏み込むことのできない、住民だけが共有する温かい世界を垣間見せてくれるものだった。「これがこれからの観光映像の形だ!」と強く感じた私は、俵太さんに連絡を取り、この映像を軸に和歌山大学で観光映像の鑑賞会を始めた。それがやがて、日本国際観光映像祭へと発展するきっかけとなった。
現在、観光において「住民は観光資源なのか?」という議論がある。観光客が観光地で住民と交流し、その土地を好きになり再訪する。このような住民との交流は偶然の産物であり、意図して作られるものではないため「観光資源」とは言えない、という意見もある。しかし、住民こそが地域の魅力の源泉であると私は考える。
俵太さんはテレビの世界でも、タレント中心の番組制作から、市井の人々を撮る方針へと転じた先駆者だ。その意味で、観光映像においても住民を主役に据えた先駆者と言えるだろう。
現在も観光映像の主流は観光客を撮影したものである。それは、観光客が映像の登場人物に自己を投影し、旅を想像しやすくするためだ。たとえば、「この旅ではこんな宿に泊まり、こんな料理を食べて、こんなアクティビティができる」と、“仕様書”的な役割を果たしている。しかし、旅の本質はスペックではなく、出会いにある。
俵太さんが制作した小浜市の映像は、地域の魅力の源泉である住民、そして住民同士の温かい絆を直球で伝えている。それは、テレビの世界で俵太さんが追求した虚飾を排したリアルな姿を、観光映像の世界でも体現したものだ。このような理由から、私は越前屋俵太さんを「住民にカメラを向けた先駆者」と呼ぶのである。
日本国際観光映像祭URL https://jwtff.world
木川 剛志(きがわ つよし)
日本国際観光映像祭総合ディレクター
和歌山大学観光学部教授

京都市生まれ、大津市育ち。1995 年京都工芸繊維大学造形工学科入学。在学時よりアジアの建築、特にジェフリー・バワに興味を持ち、卒業後はスリランカの設計事務所に勤務する。2002 年UCL バートレット大学院修了。監督として2017 年に短編映画「替わり目」が第9 回商店街映画祭グランプリ、2021年にドキュメンタリー映画「Yokosuka1953」が東京ドキュメンタリー映画祭長編部門グランプリを受賞し、同作品は2022年から全国公開中。2019 年より日本国際観光映像祭実行委員会代表、総合ディレクターをつとめている。